邪馬台国 九州説 吉野ヶ里遺跡

本日は、吉野ヶ里遺跡に行ってきました。

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町にあります。

 

ここ吉野ヶ里遺跡は、福岡ドーム約6個分

の大きさであると同時に、邪馬台国だと

いう説もあります。

 

ここ吉野ヶ里遺跡も、邪馬台国

の名残とも思われる根拠は沢山

残っていると思います。

f:id:nkj0306n:20190530192611j:plain

まずは、その大きさから見ていきましょう。

先ほども、申しておりました通り、

福岡ドーム6個分の大きさな訳ですが、

数字で表すと50ヘクタール(約15万坪)

であります。

 

推定人口は、今のところ5400人

を目処としているのですが、

弥生時代の日本の推定人口は

約60万人といわれています。

 

これを考慮してみても、吉野ヶ里遺跡

が当時最大の環濠集落を形成していた

ことがわかります。

 

 

 弥生時代に渡来人が流れてきたルートとして考えられている

場所も朝鮮から北九州に流れて そこで住み着いたと考えられています。

 こうした根拠から邪馬台国は九州説であり

吉野ヶ里遺跡であるという意見は人気がありそうですね!

 

しかし、邪馬台国畿内説(纏向遺跡)も残っております。

こちらの遺跡は、奈良県桜井市域の北部に位置し

東西2キロ、南北1.5キロの大きさを

所持しております。

 

纏向遺跡の最大の特徴としては

環濠集落(外敵から身を守る)ではない

ということです。

当時の戦乱の時代背景を考えるに極めて

異例の遺跡であることはまちがいありません。

 

それだけではなく、こちらの遺跡からは、地方からの

様々な土器が出土していることから、活発な交流が

あったことを示しております。

こちらの説も有力ですね!

 

現状、邪馬台国がどこにあったのかは、まだまだ

議論の余地がありそうですね。

 

はい。邪馬台国論争はここまでで、吉野ヶ里遺跡

紹介します。

 

まずは、入り口前にある、レストラン!

肉うどん食べました。めっちゃ上手いです!

f:id:nkj0306n:20190530211345j:plain

 

看板メニューは、弥生時代の古代貝汁定食ですが、

ボリュームあるのが食べたかったんでこれにしました。笑

 

その後、遺跡を探索して、最後に勾玉作りに挑戦!

f:id:nkj0306n:20190530212236j:plain

f:id:nkj0306n:20190530210840j:plain

おおっ!それっぽい!!!

ちなみに、参加料250円になります。

ぜひ、体験してみて下さい。はまりますよ。

 

以上吉野ヶ里遺跡公園めぐりでした!

 

ふ太宰府 食べ歩き

本日は、太宰府へ行きました。

太宰府といえば、太宰府天満宮

まずは、参拝をすましに行き、

あの伝説の梅の木と遭遇!

 f:id:nkj0306n:20190521214935j:plain

東風吹かば匂ひよこせよ梅の花

主なしとて春な忘れそ

 

菅原道真公が詠まれた

有名な詩ですね。

中学校時代に物語を聞き、

感動したのを覚えています。

 

伝説を見た次は、グルメ。

まずは、定番の梅ヶ枝餅

f:id:nkj0306n:20190521215358j:plain

焼きたて、めちゃくちゃ

上手かったです。

 

次に食べたのはこちら。

f:id:nkj0306n:20190521214838j:plain

コールドストーンのアイスを

食べました。コールドストーン

は、アメリカ本部がある、有名な

アイスクリームブランドですね。

大人の甘さって感じで、

うまかったーー!!。

 

太宰府天満宮を後に

次に向かったのは、

令和ゆかりの地である

本八幡宮です。

 

こちらも太宰府市に位置し、

太宰府天満宮から車で

10分くらいのところにあります。

 

ここで万葉集

梅花の歌を大伴旅人

が詠まれました。

 

次に、そこから徒歩

5分に位置する観世音寺

に行きました。

 

こちらには、入場料500円

で、宝蔵の中にある銅像

を見ることができます。

 

この中、とても神秘的でした。

写真はNGです。その中に

大黒様の銅像がありました。

 

大黒様ってオオクニヌシノミコト

様と同類だといわれているんですね。

 

でも、そこにあった大黒様は、

明るい表情ではなく、

怒っているような、悲しんでいる

ような顔でした。

 

こちらは、ぜひとも

訪ねて、本物を確認

してみてください!